二人の女優、芦川いづみさんと夏目雅子さん

いつも訪問している、ぷよねこさんのブログに芦川いづみさんのことが書かれていた。

otomegaki.hatenablog.jp

映画「ガラスのジョニー野獣のように」での可憐な写真と映像が添えてあった。

www.youtube.com

いい写真だなあと思い、わたしも映画の予告編を見て、お気に入りの一枚をカットした。
偶然、ぷよねこさんがアップしていたのと同じになった。

フォトフレームに入れて机の上に置くことにした。
芦川さんは当時20代、Wikipediaによれば健在で90歳とのこと。
お元気で。

もう一人は早世した夏目雅子さん。

友人の看板絵師の山中一夫さんに描いていただきました。
山中さんは新開地のアートひろば(旧KAVC)で「映画を描く会」を主宰されていましたが、お元気だろうか。

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1977年、彼女は化粧品の広告で鮮烈にデビューしましたが、当時、私はその会社に勤めて数年のころでした。
そういう理由もあって夏目さんのお兄さんが運営している「ひまわり基金」に賛同し、応援と紹介をしています。

www.himawari-kikin.com

わたしはなぜか、昭和10年から12年頃に生まれたかたとご縁があります。
恩師の内藤善之先生、私を日本ペンクラブ会員に推してくれた秦恒平先生や今回話題にした芦川いづみさん。
故人になられた方もおられますが、お元気で。

ぺこりーのさんの昨日の「昭和32年生まれ。いい時代を生きれたことに感謝 〜今世はリハーサル」に思う

ぺこりーのさんの昨日のブログ記事「昭和32年生まれ。いい時代を生きれたことに感謝 〜今世はリハーサル」に、同じように思います。

pecorino.work

私の方が「ぺこりーのさん」より年長ではありますが、社会人学生をやっていると
特に次の言葉を実感します。

今のこの令和の時代にもし私が学生だったなら

たしかに昭和30年代とは比較にならないほど

進んだ科学を享受することができ

それにより人生の選択肢も多いだろう

何もかもが便利で

スピードが早く

私たちよりも何倍も早く

経験値を貯めることができる

今はそういう時代だから

一見羨ましくもある

しかしそのおかげでルールは増え

その息苦しさにはとても私には耐えられそうにない

やっぱり昭和のおおらかさとか自由さが

私には似合っていると思う

PCが扱えないと学生はやってられないし、出席の確認だってスマホでやる授業も多く、スマホを持たない私ひとりだけが、紙で提出していて肩身がせまいのです。一度、スマホを手にしたことはありますが、故障してからは使っていません。

PCが必要と思えない授業でもPCを広げているひとは、一体何をしているのでしょうね。

本当に息苦しい社会人学生をやっています。
それも、順調ならあと四か月ほどの辛抱です。
その後が私の本当の楽しみかも知れません。

彼岸花が咲きました

ご存知のように「曼珠沙華」「リコリス」とも呼ばれている植物の和名ですね。
映画や歌のタイトルにも使われたことから、日本では赤い花びらの彼岸花が一般的な名前として知られています。
花色は赤のほか、白、ピンク、黄、クリームなどがあるようです。

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所用で新開地にきたついでに、あの喫茶店へ

ここは湊川公園です。

これは楠木正成公の銅像でしたね。

今回、新開地に来たのは『湊川新開地ガイドブック』を改定するとのことで、私にも取材が入ったというわけです。

akihiko-inoue.com

今年は新開地ができて120年とのこと、それと関係があるのでしょうか。

取材会場の「新開地アートひろば」に着きました。
以前、神戸アートビレッジセンターと言ってたとこです。

取材時間は30から45分と言われていましたが、熱が入り過ぎて2倍以上もいてしまいました。

この後は、夏に明治安田生命の冊子を届けにきて、2回もふられてしまった茶房歌舞伎です。

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幸いなことに開いておりました。
ブレンドコーヒーをいただきながら、マスターと近況を話し合いました。

その後はお決まりの西代の角打ち・鮒田酒店です。

靴職人やいつもの常連で賑やかでした。
飲めるうちが花ですね、しんみりと。

夏の終わりに、明石架橋大橋と大連

夏の終わりに、数か月ぶりに娘夫婦がいる舞子まで足を延ばす。
元気な孫二人を相手に悪戦苦闘し、つくづくと体力のなさを知る現実があります。

孫の相手のご褒美はラーメンとぎょうざの店です。
明石海峡大橋が見える坂を下ります。

大連と言ってもあの地名の大連ではなく店の名前です。
由来は残念ながら聴いていません。

ぎょうざとビールも欲しいところですが、ラーメンのみにしました。
いま流行りのごてごてしたラーメンより、こういうオーソドックスなのが酔いですね。
大連は数年前に神戸市から百名店だったかの認定を受けています。
親父さんは洋食20年の経験を捨てて以後ラーメン一筋50年?
まずいわけがありません。

ごちそうさまでした。

木下酒店の思い出

木下酒店に初めて来たのは20年ほど前のこと。

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このときは時間がはやく、自販機で買ったビールを飲んだものだった。

2012年は成田一徹さんが、あまから手帖から『カウンターの中から』を出版したころだろうか。

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成田さんもこの年の秋に亡くなってしまったなあ。

2014年の記事では、「足元気をつけてお帰りください」と優しい声をかけてくれるご主人のことにふれています。

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2015年の和田岬ツアーの記事では、鶏肉ソーセージを取り上げてました。

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一番の思い出は、やはり2018年のABCラジオ武田和歌子のぴたっと。」で木下酒店からの中継でしょう。

ameblo.jp

思い出は尽きません。
本当にいい時間をありがとうございました。