一平の思い出


元町高架下の焼き鳥「一平」が平成十九年九月二十九日に五十余年にわたる歴史の幕を閉じた。店を閉じた理由を聞く機会は、ついに訪れなかった。一代で半世紀以上も続けた店、いつかは、こういう日がやってくる。どうせならと余力を残しての幕引きなのだろう。

 
筆者がはじめて一平の暖簾をくぐって、かれこれ三十年近くになるかもしれない。安くて旨い焼き鳥を食べさせてくれる貴重な店だった。
 
通い始めた頃、店は道路に面していた。いつ行っても満席で、表で待つこともしばしばで、店から誰かが出てくれば交代で入ったものである。当時の親父さんは、恐くて話し掛けることなどできなかった。
 

注文した品が、いつまで経っても来ない。こんな時は、忘れているのだが、注文が通っているのかと聞くのは恐ろしいことで、もう一回注文を繰り返したものである。


 
場所柄、競馬ファンの常連さんが足繁く通っておられたし、親父さんも馬券を買っていた。店には競馬中継が聞けるように携帯ラジオもあった。
 
だが、阪神淡路大震災後、様子も変わった。店のあった高架下も甚大な被害にあった。通勤の途中で、高架下をチェックする毎日だったが、いっこうに一平の消息がわからず心配したものだった。
 
いろんな権利関係が入り組んでいたのであろうが、元の場所から奥まったところで、再び店をやることがわかって安堵したものである。しかし、しばらくして行ってみると「しばらく休みます」との張り紙。そんなこんなで数ヵ月後には退院されて、また赤い看板が出ていてホットしたものである。
 
世の中の景気も悪くなって、表に店があった時の常連さんと顔を合わせることも少なくなった。高齢化で店に来れないお客さんも出始めた。長年働いていた「とみちゃん」が店を止めたのはいつのことだったか、はるか昔のように思える。行けば、ビールをついでくれることもあった。
 
代わって大林さんが店を手伝うようになったのか、もはや記憶の外であるが、仕事帰りの一杯を味わさせてくれる数少ない店であった。
 
その店が無くなると知ったのは、時代の花「mixi」というソーシャルネットワーク掲示板の書込みであった。その「mixi」に入っていなければ、閉店を知らないまま過していたことだろう。
 
閉店と知ってから、これが最後と別れを惜しんできた。三度目の正直というが、その回数が三回に達したところで、本当の別れが来た。長年、ここと決めて通っていた店が無くなるとは、どういうことか、はじめて経験させてもらった。寂しいという言葉しか見つからない。親父さんに無理に頼んで記録として本に残せたのは幸いだった。
 

界隈では昨年(2006年)の同じ時期に元町金盃が店を畳んだ。その時は、まだ一平があったので昼酒が呑める店の心配はなかった。だが、一平が無くなってしまった今、どこにゆけばいいのか。昭和の酒場が遠くになってしまったものだ。
 
一平の親父さん、今までできなかったこと、ゆっくり楽しんでください。本当に安くて美味しい焼き鳥を食べさせてもらって、感謝してもしきれない。この場を借りて「ありがとう」と言いたい。

「筆者注」
 初出 飲酒主義共和国発酵 機関酒「五百崎」第六号(2007年11月1日発行) 
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